目覚め、悟りへの幻想
かつての自分を振り返るとき、
目覚め、悟り、というものについて、
あるいは、目覚めた人、悟った人について、
ずいぶんと勘違いしていたなって気づきます。
そういうものやそういった人に対して勝手な幻想を抱いていたってことに気づくわけです。
どのような幻想を抱いていたのか?
というと、
目覚めや悟りを一瞥したなら、すべての真実が分かって、すべてのものから解放されて、
その後の人生は楽チンで気楽に生きれるようになるものだと、そんなふうに思っていたわけです。
なので、劇的に人生を変えるような体験を一生懸命に追い求めていたといえましょう。
この今となってはそれがまったくの勘違い、まったくの幻想だったのだとよく分かります。
私自身もさまざまな霊的体験、覚醒体験をしてきましたが、今言えるのは、体験というものはすべて一過性のものでしかなく、結局は、修練/訓練しかないのだということです。
ようするに、目覚めた人とか悟った人などいないということです。
彼らも、程度の差はあるとはいえ、この世界においてはみんな同じです。
どんな体験をしようとも、訓練がなされていないならば、修練されていないならば、同じだということです。
それが、今、私が感じていることです。
そして、それは私自身に対しても言えることです。
私もみんなと同じ。
どんな体験をしようが、みんなと同じ生徒でしかないということです。
それは完全に体現されるまで、訓練していくほかないのだということです。
今、あらためてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)というスピリチュアリティはそんな私たちのためにもたらされた霊性の道だと思う今日この頃です。
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