貧しき者こそ幸いなり
恐れ、不安、憂鬱感、絶望感、孤独感、、、それらにかられるとき、そのときこそがレッスンです。
その渦中にいるとき、もはや愛と平安の想念とはまったく対極のものを選択していると言うことができます。
恐れ、不安、憂鬱感、、、がある同じ場所に、同時に、愛と平安が在るのだということを私たちはつい忘れてしまうのです。
そのとき、自我の思考システムと同一化している状態になっているわけです。
私たちが思い出さなければならないのは、そのときこそ自分は愛と平安を選ぶことができるのにその対極の体験を経験したがっている、ということに気づくということです。
そのことを自覚するとき、今ここに戻ることができます。
今ここには平安があります。
その大事なことを思い出すために、自分の経験のすべては自分のために起きていると言うことができます。
恐れ、不安、憂鬱感、絶望感、孤独感、、、、その渦中にあるときこそがレッスンのときだということです。
というのも、そうじゃないときにいくら訓練しようとしたところで、幸せなとき、人生がうまくいっているとき、訓練しようにもできないというものです。
イエスの言葉を思い出します。
貧しき者こそ幸いなり。
そのレッスンを自分は今学んでいるのだと自覚します。
これまで見ていた世界を真剣に超えていこうと試みているわけです。
恐れ、不安、憂鬱感、絶望感、孤独感といったものにかられているそういうときこそ、今ここに心を開いていくことができるだろうか?
そういうときこそ、今ここにゆだねることができるだろうか?
それはまったく次元の異なる思考システムへとシフトしていくことを目指しているということです。
そう、これまでとはまったく異なる在り方、存在の仕方を修得しようとしているのだと言うことができるでしょう。
ー 沖縄県本部 ー
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