ゆだねる

ゆだねることがどれだけむずかしいことか。

それは、やってみれば分かることです。

私たちはただ起こるがままに生かされているだけなのに、

自分で生きているわけではないのに、自分でどうにかできると思っているのです。

どれだけ勘違いしていることでしょう。

自分でどうにかしなきゃ。

自分がなんとかしなきゃ、、、そのように信じ込んでいるのです。

なんて傲慢なのでしょう。

私たちにできることは本当は何もないのです。

すべて起こることが起きていってるだけです。

たとえ自分がしていると思えたとしても、

私たちにできることは、ただ「見ること」しかできないのです。

起こるがままに、動かされるがままに、それを眺めていることしかできないのです。

それを「ゆだねる」「明け渡す」「一歩下がる」という言い方をします。

もしどうにかしようと介入しようとするならば、たちまち私たちは迷妄と苦しみのストーリーにさまよう込むことになります。

いわば、それがこの世界にいる私たちの状態だといえましょう。

それでもこの今もただその私たちを「赦しのまなざし」で眺めているものがいるのです。

その象徴がコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の「聖霊」であり、「イエス」です。

ずっと忘れていた。

ずっと見失っていた。

ずっと探していた。

それを思い出すなら、もっと平安と共にゆだねるということがたやすいものになっていくことでしょう。

そうありますように。


No Story No World

ーもりGオフィシャルサイトー 自分のスピリチュアリティに真剣に取り組んでいる人へ、 正直な内なる探求を恐れない人へ、 飾り気のないリアリティに向き合う準備ができている人へ。