「妥協」について気づきがありました
KUUKAさんご本人のご了承のもと、ACIM個人セッションの感想として、今回はそのシリーズの第4回としてご紹介させていただきます。
<KUUKAさんのメールより>
先日も個人セッションをありがとうございました。
もりGさんの最後のお話から、「妥協」について気づきがありました。
コースは、妥協のない一元論であり、
ワプニック博士の妥協のなさや、
もりGさんの妥協のない学びと実践を見ていて、
いつもすごいな〜と感じておりましたが、
しかし、一元論であれば当然のことだし、
聖霊から見れば当たり前のことであり、
反対に、妥協とは二元性の中でのみ可能であり、
目覚めさせないための、自我の巧妙な罠(防衛)なのだと改めて気づきました。
Aさんや、多くの悟り系のティーチャーたちが、(多分)その視点にありながらも、
目覚めようとしていないのも、
やはり妥協なのかな〜と感じました。
そして、よく見てみると、
私自身もどこまでいっても妥協していたい自分がいることにも気づき、はっとしました。
つまり、悟りの視点を保ちながら、
人間として生きられればいいや〜 という考えでした。
つまり、自我か聖霊かのどちらか一方でしかないのに、
両方とも望むという妥協ができると信じているところが、
本当に狂っているのだな〜と思いました。
そして、妥協は必ず葛藤を生み出し、
それを隠蔽し、投影してしまうでしょう。
つまりは、どこまでいっても、全く目覚める気などないということです。
それを深く自覚しました。
妥協がないことがすごいのではなく、
コースを学び、実践していくなら、
妥協がなくて当たり前なのだというところから、
それでもまだまだ分離を信じているので、
多少は妥協しながらも学んでいくのだなぁと思いました。
いつもありがとうございます。
- KUUKAさんのメールより -
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