なぜリアリティに異を唱えるのか?
これまでの自分を顧みるといつもリアリティに異を唱えてばかりいたと気づきます。
要は、自分の目の前にある現実に対して「まだまだ」とか「もっともっと」というふうにi異を唱えてきたということです。
そのようなこと(考え方)をし続ける限り、いっこうに平安はもたらされないどころか、満たされることなどあり得ないのは明らかです。
むしろ、この世界が敵のように見えてきてしまうのは当然のことだといえましょう。
そして気づけば、自分はそのようにこの世界を知覚しようとしているのが自覚できます。
その自覚が、自分自身にさまざまな洞察をもたらしてくれるとともに、別の見方、考え方があることを気づかせてくれます。
目の前のリアリティに異を唱えるならば、この世界は苦しみの世界でしかありません。
一方、異を唱えるのをやめるならば、そこには平安があります。
だれもがその時の最善を尽くしています。
起きている出来事のすべてが最善を尽くしているのが分かります。
それに対して異を唱えて何になるというのでしょう。
そうではなく、むしろ優しく、穏やかに、親切な愛のまなざしで目に映る世界を見ていきたいものです。
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