コースを学ぶのであれば、
私は、ケネス・ワプニック博士の解説で学ばれることをおススメするわけですが、
なにせ、ワプニック博士の解説ですらもそうそう容易く理解できるものではありません。
でも、
根気強く、地道に、ケネス・ワプニック博士の解説で学んでいくならば、
コースの霊性の道の本当の深淵さがみえてきます。
そして、何よりも実践が伴うようになっていきます。
その理解が深まれば深まっていくほど、
その理解に伴った実践ができるようになっていきますし、
それによって、さらなるコース形而上学の深淵なところが理解されていきます。
それはちょうど階梯を一段一段上がって行くようなものだというふうに捉えることができます。
コースの理解が深まっていくにつれて、
それまではけっして見えなかった景観が見えてくるということです。
そこには、たしかに、
下方の階梯にいるところからではけっして知られることのない景観があります。
私(もりG)も、まだその階梯の途上にいるわけですが、
だとしても、
その景観は、以前の視点からは想像だにしなかった景観を見ていると言わぜるを得ません。
”進んでいくにつれ、この道はかなり違ったものとなっていく。また、旅を続けるにつれて目前に現れてくる壮大さや、雄大な景観や、広々と開けていく眺望のすべてについて、あらかじめ知ることはできない。だが、それらの壮麗さは先に進むにつれて言葉に尽くせぬ高みにまで達するとはいえ、そうしたものでさえ、この道程が消滅してそれと共に時間が終わるときに待っているすべてに比べれば、その足元にも及ばない。” (M-19.2:5-7)
ワプニック博士の解説するコースを深く理解していくなら、
その階梯の一段一段も漠然としたものではなく、
しっかりと明確に示されているのがわかってくるということです。
最終的にわたしたちは、実相世界までその階梯を上がっていくことになるわけですが、
その最上段(実相世界)の景観はいったいどんな景観なのだろう?と楽しみにすらなってきます。
実際、それがコースの学びを進めていこうというモチベーションになっているのは確かです。
ワプニック博士の解説を理解していくなら、
学びの階梯を確実に上っていくことができるのだということです。
むしろ、
ケネス・ワプニック博士の解説なしでは、
コースの学びの階梯をのぼっていくのは絶対にあり得ない、不可能だと、私は思います。
ですから、
コースを学ぶのなら、ケネス・ワプニック博士の解説で、ということなのです。
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