コース(ACIM)を学びはじめたころは、だれもがコースは難解だと感じるはずです。
なにせコースの学びはじめの頃は、
本編のテキスト、ワークブック、教師のためのマニュアルを読んだとしても、
「???」といった感覚を覚えたはずです。
なぜなら、それらは聖霊の思考体系で書かれてあるからだと言っていいと思います。
ですので、
すでに自我の思考体系に慣れ親しんでしまっているわたしたちにとっては、
とても理解し難いどころか、
まったく異なる言語で書かれているようにさえ思えたりします。
そういうことで言えば、
コース(ACIM)を学んでいるわたしたちは、
まさに「聖霊の思考体系」を学んでいるのだと言うことができます。
テキスト、ワークブック、教師のマニュアルに書かれてあることが次第にわかるようになってきて、
あらためて思うのが、テキストの内容を理解していくことはとても重要である、ということです。
(ちなみに、「内容を理解する」とは、知的レベルの学びだけではけっしてあり得ず、
もちろん、実践における学びがともなって理解されるものという意味です。)
テキストについて言いますと、
ワプニック博士も、「テキストで述べられていることを理解している必要がある」と云っています。
テキストの内容の理解度は、
いわば、コースの理解度だと言うことができますし、
それと同時に、聖霊の思考体系の理解度(習得度)の目安になると言うことができると思います。
テキストを理解するということは、
コースを実践していくための形而上学としてのその考え方を理解するということです。
それとは対照的に、
テキストを学ぼうとしないということは、
ある意味、
自我の思考体系のままでいい(狂気のままでいい)と宣言しているのだといえます。
もし、テキストを学ばなくてもコースを理できると思っているとしたなら、
「コースのイエスよりも自分の方がコースをよくわかっている」
と宣言しているのだというふうにも言い換えられます。
コース学習者であるわたしたちにとっては、
テキストを学んでいくこと、
テキストをしっかり理解していくこと、
それが絶対に必要なのだということです。
それは、聖霊の思考体系を自分に教え込んでいくためであり、
それは、聖霊の思考体系を習得していくためであり、
それなしで、
どうやって聖霊(正しい心/正気)と同一化していくことなどできるというのでしょう。
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