深い平安と、天国はここにあるという愛の反映のような景色を垣間見ることができました

個人セッションの感想をいただきましたので、ご本人のご了承のもとにシェアさせていただきます。


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個人セッションをありがとうございました。


また、一つの節目とも言えるような、深い気付きと解放のセッションとなりました。

「すでにある」という深い平安と、天国はここにあるという愛の反映のような景色を垣間見ることができました。

すると、あれから、分離を信じることの代償がよくわかるようになりました。

あと、ほんと自分しかいないんだーということも深く染み込んでいます。

なんかたくさん気づきがあって、うまくまとまらないのですが、、、分離を信じるなら、天国から自分を除外して、自分自身を咎めている(=戦っている)んだということを痛感しました。

あの苦しみは自分自身を除外して咎めていたんだ=十字架刑にしていたと気づきました。

だから、自分は自我なんだと認めることは、咎めずに見ることであり、それが包含することと同じなのかなーと思いました。

良くも悪くもない自我を、悪いものとして裁いて咎め続けていた。

失うことができると信じ続けてきた。

そして、それをなんとか良くしよう、埋めようとしてずっと何かを探し求めてきた。

本当に、何やってたんだろうーと今でも思います。


一歩下がったときの楽さというか平安さと、「私」を信じることの苦しさがわかるようになり、平安から見たほうが、「私」がいないほうがほんと楽なんだなーと思います。

「私」がいなければ全一なのに。

信じなければ、神の子のままなのに。


相互排他性も、今までとは違う方向から見ることができます。

もりGさんはいつもここからみているんだなー、いや、ここよりさらに深淵なところから見ているんだな-と思うと、私もそのように見たいと、どんなふうに見えるんだろうという好奇心も湧いてきます。

いったり来たりの繰り返しではありますが、またよろしくお願いいたします。


ーKさんの感想メールよりー


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