この世界は幻想である。
それが、コースの中心的概念です。
それは、この世界も、あなたも、私(もりG)も、すべてが実在しないのだという意味です。
でも、私たちは、
この世界も、あなたも、もりGも、あたかも実在しているかのように知覚しています。
ということはどういうことなのか?
というなら、そのように知覚している私たちは幻想を信じている状態なのだということです。
幻想(妄想/幻覚)を知覚しているのに、それを現実だと信じて疑わない、それが私たちです。
その自分はまさに狂っているとしか言いようがありません。
それを、コースでは「狂気」と呼んでいます。
ただし、私たちは、まさか自分が狂ってる(間違っている)などとはけっして思っていません。
むしろコースの云っていることのほうがデタラメだと信じ切っています。
「この世界が幻想だなんて、そんなこと嘘に決まっている。事実、この世界は実際にあるじゃないか。この自分だって存在しているじゃないか。」
と、自分のほうが正当であることを主張し続けているのが私たちです。
コースを学んでいる学習者とはいえど、私たちはそういうことをしています。
「この世界は幻想である」というコースの教えを受け入れようとはしない自分を認識しなさい!
と、コースのイエスは教えてくれています。
そんな私たちは、つまるところ、すでに自我になってしまっているということです。
自我はとても巧妙です。
コースが教えていることなどまったく受け入れる気がないくせに、
コースを学ぶことだってできるのですから。
それこそ狂っています。
それが、私たちです。
そんな私たちにとっての唯一の救いは、
「自分は間違っている、自分は狂っている、自分は何もわかっていない」
ということを認めていくことでしかありません。
そのことを受け入れていくとき、
私たちはようやくイエス(聖霊)という平安の教師と共に歩きはじめることになります。
それは、この世界の幻想から解放されて、自由になっていくための訓練のはじまりだといえます。
その訓練がどれだけの高みへと私たちを導くことになるのか!
その素晴らしき報奨がどういうものかを本当に理解するなら、
だれもその訓練を怠ろうはしはないでしょう。
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