死の夢から幸せな赦しの夢へ

コースは、この世界の夢から目覚めていくためのスピリチュアリティ(霊性の道)です。


ですから、その実践である「赦し」は、

精神的な安定(平安)より良き人間関係やより良き人生になることを目的にはしていません。


そういった成果がもたらされることもあるかもしれませんが、

コースはこの世界の夢から目覚めていくことが目的なのだということです。


本当の自分はこの時間と空間を超えたところにいるのであって、

自分はこの世界には居ないということを思い出していく訓練であるということです。


「赦し」は、そのための実践的手段なのだとコースは教えています。


ときに、

「精神的に平安になること」や「より良い人生になること」を目的にコースを学んでいたり、

赦しを実践していたりしているケースがありますが、

コースはそのようなスピリチュアリティ(霊性の道)ではけっしてありませんということです。


それでも実際には、コースはそういうものであるとわかっていながらも、

いつのまにか「この世界の夢から目覚める」というコースの目的を忘れて、

精神的な平安を得ることやより良い人生になることを目的にしていることはよくあることです。


そのような学びや実践をしているとしたなら、

もはやそれはコースではなく、

その学びは無駄な時間を費やすだけのものになってしまうことになります。


(それは、私(もりG)自身の経験からも言えることです。)


この世界の夢から解放される、この世界の夢から自由になる、とはどういうことなのか?

私たちはそのことについてしっかり理解しておく必要があるということです。


この世界に価値(重要性)を見ながら、この世界から解放されることなどあり得るのでしょうか。


この世界に喜び(希望)を見出しながら、この世界から自由になることはできないということです。


それがいけないということではなく、

そういうことをしている自我(自分自身)を見なさい!と、ワプニック博士は云います。


非二元(一元論)のスピリチュアリティとはそういう道です。


これは、目覚めへの道、覚醒への道なのです。


コースでは、それを「復活」という言葉で表現しています。



復活とは、死の夢から目覚めるということです。死の夢とは、「私」のこの人生のことです。”

-『The Golden Thread of Hope』ワプニック博士の講話より‐



これは「死の夢」であるということ、

そして、「私」のこの人生がまさにそういうものであるということ。


いかに私たちは「死の夢」でしかないこの人生を価値あるもの、重要なものとしていることか!


それを見なさい!そのことを認識しなさい!ということです。


価値あるもの、重要なもの、としてしまっているその愚かさ(狂気さ)を認識しないかぎり、

その愚かさ(狂気さ)から自由になることもできなけれが、

もちろん、その夢から復活(目覚め/覚醒)することなどあり得るわけがありません。


私たちは、その狂気の思考体系から自由になる訓練をしていくのだということ。


つまり、

「狂気の自分」を自分自身だと信じていることだけが問題なのだ、

と認識していく訓練なのだということです。


そのことを認識していくなら、

それは「死の夢」から「幸せな赦しの夢」となっていくことになります。


その「幸せな赦しの夢」とは、

「私」はいない、「私の人生」も存在しない、この世界も存在しない、

というもう一つの見方へと知覚がシフトしていくということです。


コースは、そのもう一つの視座を体験的に学んでいく道なのだということです。


そして、「赦し」はそのための実践手段なのだということです。


ACIMシンフォニー

『A Course in Miracles/ACIM/奇跡講座)』をケネス・ワプニック博士が解説する教材で学んでいるコース学習者です。その学びと実践を通しての理解をシェアしています。

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