奴隷となってしまったわたしたちの不平不満は止むことがありません。
奴隷となってしまっているわたしたちには自由がありません。
わたしたちは奴隷として主人(支配人)に仕えていくしか生きる術を知りません。
奴隷であることにもうウンザリしているというのに、どこにも希望がありません。
わたしたちは主人(支配人)の囚われ人でありながら、
わたしたちは主人(支配人)なしではもはや生きてはいけない身分であることに、
わたしたちは絶望しています。
主人(支配人)に反逆したとして、
わたしたちはさらにひどく虐げられることになるだけです。
主人(支配人)のもとを脱走したとして、
わたしたちは捕らえられてひどい仕打ちを受けるか、そうでないなら野垂れ死にしてしまうか、
そのどちらにしても絶望しかありません。
これが奴隷たちの宿命である。
奴隷には自由などありません。
絶望しています。
もし希望があるとするなら、これが夢であることだけです。
光よ、聖霊よ、どうか教えてほしい。
光よ、聖霊よ、なぜわたしたちは奴隷として虐げられるばかりなのでしょう。
”偶像たちの奴隷とは、自らなりたくてなる奴隷である。というのも、生命なきものを崇拝して平身低頭し、力なきもの中に力を探すようなことを自分にさせる彼は、それを自ら望んでいるにちがいないからである。そうしたことを自らの願望にし、路傍の石よりも低きところに自らを貶め、自分を引き上げてもらおうとして偶像に依存するとは、神聖な神の子にいったい何が起こったのだろう。それならば、あなた自身が作り出した夢の中の自分についての物語を聞きなさい。そして、自分に尋ねなさい。自分は本当のところ、それが夢ではないと信じているのではないだろうか、と。”(T-29.Ⅸ.1)
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